生産へのこだわり

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米作りを始めて、もう14年目になります。
その間、米の食味コンクールに挑戦し続けて来ました。
予選敗退もあり、2回戦でこれまた敗退。
今年こそ今年こそと重ねて来ましたが。 そうなんです。
とうとう‼️ほんまにとうとう。
日本最大の米の食味コンクールで、金賞を受賞しました。

やりましたよ。
大和高原に天空のほほえみありと、
今はその感慨にひたっております。
また、これから来年に向かって精進あるのみと、
田に出ています。 まぁ、ほんまに美味しいのができました。

有機で育てたミルキークイーンです。

お求めくださり、嬉しいお言葉を寄せてくださる
皆様があってこそ、これまで励んでくることができました。
本当にありがとうございました。
そして今後ともどうぞ
天空のほほえみを、よろしくお願い申し上げます。

長雨にほとほとうんざりした梅雨、
明けては酷暑・厳暑・炎暑に見舞われ、
今年の収穫はどうなるのだろうと天を仰いだ日々でした。

50年農業一筋に生きてこられた大先達に尋ねました。
米作りで人間が関われるのはどのぐらいの割合でしょうか。
しばらく考えてからその方は、
7割は天の思し召しやねと口にされました。
そうなのですね。
気候に左右され、時には害虫・病気・降雨量・気温・日照、
このどれを取っても農業者の力が及ぶ範囲は少ないです。
今年は幸いなことに・・・と月並みですが大きな災害もなく
厳しい夏を乗り切ることができ、秋の収穫では豊作となりました。

有機栽培に挑戦して早8年になります。
漢方薬がそうであるように速効、激変など有機栽培では不可能です。
何をおいても一に土を作ります、翌年も土作りです。
過剰な施肥ではなくて地力を作る、
その地力の栄養と微量要素の成分のうち育ちに
必要な分だけ米に貰って、残ったものはのちの土の力に蓄えてきました。
土に力があれば病気に負けない、病気になりにくい、
昨今のような高温被害にも逞しく育つ稲になる、
それを確信した今年の秋でした。

コシヒカリをここ10年作って来ましたが、
今年は新品種「にじのきらめき」を作りました。
この品種は、草丈が低く台風の被害にも強く倒伏しません。
一本植えた苗から平均40本の株に育ち、
単位面積あたり大増収でした。
5枚の圃場から大きく分けて5種類の米が取れます。
同じ苗を植えても育ち方が違います。まさに土の力です。

今年の食味、まあいっぺん食してみてください。
自画自賛を百も承知で口にしています。
ほんとに美味しく出来上がりました。

先日からトラクターを動かしています。
準備です。文字通り来年の土作りを始めました。

お米屋天 天空のほほえみ舎
中山 廣一
大阪梅田にあります、
グランフロント大阪にて、
9月14~16日
パナソニックセンター大阪主催の
炊飯に関するイベントが行われました。

事前に担当者様よりご連絡頂き、
そのイベントで、私たちのお米
天空のほほえみを試食に使わせて欲しいとのこと、
なんとも嬉しいご提案!

とても好評頂いたようで、
美味しいお米と優れた炊飯器の
ステキなコラボレーションとなっていたようでした。

その後お米の問い合わせも頂き、
大変有難い機会を頂きましたこと
パナソニックさん、感謝申し上げます!!

天空のほほえみは、夢の舞台に昇りました。
11月26・27日に行われた
「第20回米・食味分析鑑定コンクール:国際大会in飛騨」において、
都道府県代表に選ばれ、本選で特別優秀賞を受賞しました。
続いて、12月7・8日に行われた
「第15回お米日本一コンテストinしずおか」で
最高金賞の受賞となりました。

大和高原で育った米・コシヒカリは、天の恵み、
地の温かさ、昼夜の寒暖差、
そのいずれもが標高460メートルの天空のような山あいで、
今年も見事に花咲きたわわに稲穂が実ったのでした。
夢はいつか叶う時が来る、念ずれば通ず、願わない夢は叶わない、
それを今年は体感し実感の感涙を味わったのです。

美味しいお米、たくさん獲れる品種、病気に強い作風、
そのどれもトライアングルのように強く関わっていますが、
何をおいても美味しいと言って頂ける米作りこそ、
天空のほほえみ舎の本願です。

この受賞に慢心することなく、学びを続け、
種もみの発芽のようにまた一歩を踏み出します。
2018年度は、天空から天女がほほえみとともに舞い降りてきました。

この便りを目にしてくださる皆様、
本当にありがとうございました。
今年のご支援に心より感謝申し上げ、来る年が、
皆様に幸多いものとなりますよう祈念いたします。
今年も晴天の下、田植えを執り行うことができました。
手伝いに来てくれる若者もあり、
賑やかなゴールデンウィークでした。

梅雨を受け、
暑い日照り、涼しい夜風に育てられて
秋の収穫の日まで
ぐんぐん育ちますように。
米食味コンテストに挑戦して、
早6年が過ぎました。
食味を表す数値でどうしても到達できなかったのが
90です。
ついに食味数値90の米が出来上がりました。
土を変え、多くの先生に学び、
ただひたすら良食味の米を求め続けてきました。
到達したかった90台、
できたことの喜びと、食していただけるお客様に
美味しいお米を届ける喜びを日々味わっています。
お米日本一コンテストinしずおか
において、入賞することができました。
総出品数およそ500の中で
ベスト75に入りました。
まだまだここから、
新たな一年へと歩みは続きます。
秋晴れの下、収穫作業を進めています。
今年もなお一層美味しいお米です。
たくさんのご予約、ご注文を頂き
嬉しい限りです。
精米できる量が限られていることと、
秋雨が続き、ぬかるんだ土壌に
収穫作業もてこずっております。
順に発送させて頂きますので
楽しみにお待ちいただければ幸いです。
現在のご予約分は、9月中に発送いたします。
私の圃場からは目の前に関西百名山に数えられている
額井岳(ぬかいだけ)812.3メートルが見えます。
5月の連休には頂上から富士山が見えたとTVで放映されました。
ダイヤモンド富士になる、まれな時間に撮影に成功したのでした。

この山からは伏流水として美しい水が流れて来ます。
細い急なせせらぎを流れて来る水は
山の麓で簡易水道の水槽に貯められ飲料水となり、
あふれた水はそのまま田にも入ります。
生活排水の入らない水は清流のまま稲の根元を潤します。

 圃場は砂地です。
掛け流しのように水が入れ替わるのでよどんだ水にならず、
酸素を根っこに届けます。

 稲が育つにはいくつか大事な要素がありますが、
何よりも水・土壌・そして寒暖の差が必要です。
異常気象ではないのかと言われ始めたように
温帯気候と言われてきた日本列島も、
今や亜熱帯になったのではないかと感じてしまいます。
稲作にはこの高温が一番の天敵になってしまいました。
寒暖の差は、昼に光合成で栄養を蓄え疲れた稲を
涼しい夜に休ませます。
温度の高い水や土壌では、蓄えた養分を夜に消費してしまいます。

我が家にはエアコンはなく、寝苦しい熱帯夜もありません。
一昔前まではこの地域では天然の高野豆腐を作って
地場産業になっていました。
山の麓では氷室の跡が出ました。
小川には蛍が乱舞しています。
そして秋にはたわわに天の恵みの下で育った米
「天空のほほえみ」が生まれます。

有機質をふんだんに使った肥料には、
稲わら・もみがら・発酵堆肥・刈り取った草、
それらを完全に分解するために稲に適した
乳酸菌(ラクトバチルス)を土中に撒いて、
土を作ることから始めました。
土中の様々な微量要素と合体させ、
「土ごと発酵栽培」を土台にしています。
4年掛かって土壌・水・気温が稲の育ちに適応できる
育て方に辿り着きました。
兵庫県は丹波篠山(たんばささやま)から
ラクトバチルスとカルシウム(カルテック)を使った
米作りの先生が遠路はるばる足繁く通ってくれます。
個人戦の米づくりではなくて、団体戦に育ちつつあります。
私の家の耕作地は棚田のような小さな田んぼが28枚有りました。
手でわらを切り、牛で耕し、一本一本手で田植えをしていた時代です。
それが国営事業で圃場整備がなされ5枚の田になりました。
大きくなった田は耕作がしやすく、作業時間も掛かりません。

この地に300戸あまりの住宅地が出来ました。
たくさんの人が住み着き、いつの間にか新しい友達も出来ました。

田を耕していますと長年連れ添ったご夫婦が
毎日決まったように散歩されるのを目にします。
奥様は身体が不自由で、ご主人が車椅子を押されています。
「毎日お二人はずっとお話をされてますが、
どんなことを話しているのですか。」
「こんな良い所に住んで、幸せだなと話していました。」
「田を耕されたので、辺り一面に土の匂いが拡がっています。」
「人との距離がゆったりしていて、
日差しも柔らかくて外に出るのが嬉しくて。」

お二人はトラクターに乗っている私に、
日頃気付かなくなってしまったささやかな幸せを、
改めて教えて下さいました。
土の中からは冬眠から目覚めた蛙がたくさん飛び出してきて、
夜になれば合唱が始まり、輪唱「かえるの歌」が夜中じゅう聞こえています。

土を愛でる、それを今年も強く実感しました。
有機栽培にこだわった結果、年々土が変わり、
今年は「本当に良い土だな。」と何度も呟きながら耕しました。
間違いなく土が変わった、
土の匂いが嬉しいと話して下さった仲の良いご夫妻に感謝しながら、
まもなく田植えを始めます。

蛙さんは、心地よい土を布団にしてゆったりと暮らしています。
「植物にも耳がある」お聞きになったことはお有りでしょうか。
つくば大学附属小学校の先生が、朝顔を育てる時に実験をされました。
二つのプランターに同条件で種蒔きをして、その後の世話に二つの方法をされました。
一つは出た芽に話し掛ける、もう一方には黙って世話をする。
話し掛ける時には、いつも次の言葉を話されました。「きれいな花を咲かせてね。」、「世界で一番美しい朝顔さんへ。」
水を与える、肥料を置く、つるを巻き付ける手を用意する、いつもいつも喋り掛けて育てられました。
気の毒にもう一方の鉢には無言でした。
この先生、どこかで植物にも言葉が届くことを耳にされたのを確かめたくて、あえて二つの方法を試されました。
そしてその経過を丁寧に記録されたところ、成長に歴然と差ができたのです。
蔓の伸び、葉の数、色、勢い、一つ一つ別の種類ではないかと思われるほど成長に差が出たのです。
そして開花の時を迎えました。
花の色、数、大きさ、ここでも差が出たのです。
この実験は三年、三回挑戦されました。その三回とも同じ結果が出たのでした。私はこの実験を研究冊子で拝見した頃に、時を同じくして米づくりの名人に出会いました。
全国米食味コンクールで連続金賞を受賞され、とうとうダイヤモンド賞の栄冠を手にされた山形県の石井さんです。NHKのプロフェッショナルで放映され、全国的に有名になられた方です。
この石井さん、田を見て回る時にいつも話し掛けておられるのです。
稲に言葉が届く、愛情の証に話し掛けられて育てられました。
私には衝撃でした。と、同時に朝顔の実験と重なって、植物に特に稲にも言葉が届くと確信したのです。
始めるのはいつがいいのか、テレビで見て、国際大会の会場群馬県の川場村で御本人にお会いして、話し掛けることがいかに稲の成長に影響しているかを直接お聞きして、私もその方法に学ぶことにしました。
実際に取り組んだのは次の年からです。
大きな声ではちょっと恥ずかしくて、稲に向かってどうか届いておくれと話し掛けました。
「しっかり育っておくれ。」「秋には立派に稲穂を付けておくれ。」「美味しい秋の実りを待っているからね。」
さて、その結果はどうだったでしょう。
話し掛けなかった稲と比べることはできませんでしたが、言葉は伝わったのだと信じています。
天の恵み、地の利、風や雨、何よりも有り難い日光の抱擁、そして私の声援、いくつもの条件が重なって稲はたわわに実りました。
その年以来、私は話し掛けることを続けています。
稲の返事は、美味しい食味でしっかりと返って来ました。
このページを目にしてくださった方々、どうか一度、新米「天空のほほえみ」を御賞味ください。
きっとご満足いただけると確信しております。
今年も飛びっきりおいしいお米が収穫できました。
ご注文、お待ちしております!

多くの農家では病気になってしまった稲穂に真っ白な粉末の殺菌剤で消毒をしていたのは随分昔のことでした。農薬の害よりも病気を克服することに重きが置かれていました。
もうそんな光景を見なくなりましたが、最近では新たな二つの敵が現れました。
一つはカメムシです。いま田では稲穂が日に日に頭を下げていよいよ実りの最終の仕上げの時期です。米粒が甘くてミルクのように柔らかくて美味しいのでしょう。カメムシは夜には畦の草の中に棲んでいて、昼になると畦から7・8メートル田の中に出てきて穂を食べます。食べられた稲穂は米粒が黒くなります。カメムシの唾液で酸化して黒くなるのです。黒くなった米がいくつか炊飯器の中にあっても食味に影響することはありませんが、白いご飯に黒い異物を入れたまま茶碗によそうのはあまり気分の良いものではありません。多くの農家ではこのカメムシを駆除するために農薬を散布しています。ヘリコプターをラジコンで飛ばして、両サイドにつり下げられたタンクに入れた薬品を8メートル上から散布してカメムシを殺しています。
 私は、農薬を使いません。その代わりにカメムシや色の付いてしまった着色米を光学器械・色彩選別機で選別しています。色彩選別機は高速で走り落下する米を蛍光灯で照射し一粒の米粒に1000分の3以上の色の付いた物があると、コンプレッサーで圧縮された空気で先の細いノズルから噴出する空気を打ち込んで、一瞬のうちに排除しています。これが私の大切な選別ツールです。
もう一つの天敵は文字通り、乳白米です。
乳白米は米の中に白くなっている米粒のことです。餅米が混じっているように見えますが、未騰熟米です。これはなぜできるか、昼の高温が障害となって夜に水の温度の下がらないことが高温障害となって稲を疲れさせて、籾はできるのですが中は白いままなのです。これには夜に冷たい水を入れて掛け流しをして土を冷やし、根を休めてやるのが解決の方法です。私の圃場には有り難いことに冷たい水が入ります。毎晩寝る前に田を見に行き、水口を開けてゆっくり田に水を入れます。乳白米も色彩選別機で排除することができます。
カメムシと乳白米、いずれも暑くなっている気候と密接につながっています。
天空のほほえみ舎では夜は半袖では寒いくらい気温が下がります。
自然のクーラーで健康な稲穂が育っています。
毎晩田に出ていく時は、心が弾みます。
待っている米たちに喋りながら夜の冷たい水を贈っています。
水を入れる時には必ず話し掛けています。
植物には耳がある、この話は次回にしましょう。
台風11号・12号
天の恵み、時に過酷です。
もう風よ吹かないで、雨よそこそこでいいですよ。
台風は容赦なく、まるで侵略者のように襲ってきました。
天気の良い時には見えなかったことが大雨の中では突然見え始めます。
たくさん貯まった田の中の水が土手から噴水のように噴き出しているのです。
蟻の一穴、土手が崩れてしまいます。犯人はモグラです。
土手にいくつも穴を開けたのです。
大雨の中衣装を整えて土手の修理に出なくてはなりません。
田の見回りに出て水路に落ちて命を亡くす人が出ますが、見回らないと田の様子が変わってしまいます。
濁流がようやく美しい水に変わり始めました。

台風一過の晴れを待ちます。
出穂(しゅっすい)しました。
稲の花はほんとに小さくて虫眼鏡で見ないと
よく見えない小さな愛おしい姿をしています。
田植えが5月10日、出穂の日を8月5日と
予想して施肥や水の管理をしてきましたが、
しっかり育ち8月1日にところどころに背の低い穂が見えました。
これからは一日一日と穂の数が増えて、
出穂日として数えるのは全体の6割方出たところでその日とします。
今年も8月5日、命中しました。
これから水が必要な時です。毎晩冷たい水を掛け流しで入れます。
秋の収穫の後の田には、細かく刻んだ稲わら、籾がら(籾の皮)、米ぬか、有機肥料の代表格の発酵堆肥を撒いて、そこに乳酸菌(ラクトバチルス)を入れました。
昨年の秋に第一回目の田を耕して、砕かれた土は寒い冬を越しました。
乳酸菌は寒い期間は動きも弱くて時には冬眠をして、暖かくなった頃から発酵が強くなり有機物を分解してくれます。
「土ごと発酵栽培」と命名して今年で4年目の作業です。
3月末から4月の初めに2度目の耕しをして、そして先日3回目の耕しをしました。
乳酸菌を入れると土が変わると教えを受けましたが、はたしてどうなるのか毎年毎年その変化を楽しみにしてきましたが、特に今年の春には感動しました。
例年になく土が柔らかく、且つ、撒いてあった有機物が皆目見当たりません。特にもみがらは非常に固くて、遺跡から見つかった物の中にもみがらがそのままで見つかったくらいです。
そのもみがらもなくなり、去年の切り株も見当たらず、有機物はほぼ分解されていました。
ふわふわの土は、色が濃くなって黒に近く、耕した上を歩くとまるで布団のようでした。
地面続きにお隣さんの田があって、そこも耕してあげると比べるものがあってよく分かりました。土の変わりようが肉眼ではっきりと確かめられたのです。
21世紀は発酵食品の時代と言われます。
土が変われば当然根の張りも良く、酸素の供給も多く、しかも発酵作用は土中で有害なガスを発生させません。
土作りが根を育て、根は太く長くなり、微量要素をたくさんもらって、今年の秋には一段と甘みと粘りのある「天空のほほえみ」が誕生します。
5月の10日から田植えをします。
我が家の目の前には、関西100名山の一つ 額井岳(ぬかいだけ) 海抜812.3メートルがあります。
大和高原では別名大和富士と呼ばれています。
今日の田起こしの最中、見上げれば山はこぶしの花で真っ白になっています。
亡くなった祖父は山が白くなればその年は雨が少なく、暑い日が続くと口癖のように話していました。
確かに雪が降ったかと思えるくらい白くなった年は、炎天、酷暑が続いたことを覚えています。さて、今年はどんな夏が来るのでしょう。
私の米作りには、こだわりがあります。コシヒカリを育てていますが、食味がとても美味しい反面、背丈が高くて稲が倒伏する弱さをもっています。
コケヒカリなどと嘆いて別名で言う人もいるくらいです。数年前には台風の雨と風で一晩で青畳のように一面真っ平らになってしまいました。
コシヒカリを倒伏させないためにはどうすれば良いか、あちこちに師を求めました。
辿り着いたのが乳酸菌(ラクトバチルス)の力で足腰の強い稲を作る方法でした。稲の軸は穂が実る穂先までに五つの節があります。
その一番下の第一節間を短くするのです。春の田植え時には肥料を与えないで、無施肥で土中の微量要素だけで育てます。肥料が無いと早苗は根を張って、自力で栄養を探しに行きます。
試しに田植えから一ヶ月が過ぎた頃、根を見てみました。驚きです。今までの作風とは比べものにならないくらい根が張っていました。根の伸びている広さも量も10倍はあったでしょうか。
根が張れば、茎が強く太くなります。背丈が低い分、倒れにくくなります。
自分の力で、足腰の強い稲を作る、それが土を変えた乳酸菌の威力と成果でした。
乳酸菌は土中の有機質を完全分解して、稲が育つためのたくさんの栄養素と必要な微量要素をふんだんに生み出してくれています。
私はこの作り方を「土ごと発酵栽培」と呼んでいます。
しみんだより4月号の表紙には特集 奈良からはじまる「挑戦」する農業 が大きな字で記されています。
国の成長戦略にも掲げられた農業。ただ「作る」だけではなく、生産者自らが考えてさまざまな市場への積極的な展開が必要な時代に来ています。
奈良市では地元で採れた農産物を地元で消費する「地産地消」はもとより、お茶やお米、イチゴといった新たな戦略商品を普及させ、地元農業を経済成長につなげたいと考えています。
そんな中、“挑戦”する農業が動き出しています。
今回は、市内でがんばる3人の生産者にお話をうかがいました。

この書き出しの下、私の天空のほほえみがどのようにして生まれてきたのか、取材の質問に答えました。
米作りは奥が深いです。効率と採算を求めてはならないものは「教育」と「農業」だと思います。
食の時代は、農の時代でもあります。
不定期ですが生産者のコーナーも、もう少し頻度を上げて書き込むことにします。

どうぞ天空のほほえみ、末永く、そして温かく見守ってください。

2014年3月29日午後から田にトラクターを連れて行きました。
今年初めての農作業、ちょっと緊張、たくさんわくわくしていました。3時間ほどで田が二枚耕せました。
時々トラクターの回転している鉄の爪に石が当たります。音が鳴るとトラクターを止めて下を覗きますと大きな石が出ています。中にはドッジボールのような大きな物もあります。
土が付いていますが抱きかかえて田の外へ持ち出しました。
毎年運び出しているのにまだこんな大きな石が出てくるなんて。怒らない、嘆かないで何度も何度もこの作業を繰り返しました。
ただいま、田作り真っ最中です。